20170612
2017年6月12日、5人のアイドルが死にました。
客観的に、しょうもないオタクの端くれでオタクの中でもしょうもない部類に分類されていた僕ですが、今までで一番、長期にわたり見守り続け、追いかけ続けてきたアイドルが℃-uteでした。
まさに青春のほとんど。「青春の一ページ」なんてフレーズがよくあるけれど、そんな事は全く無く全然一ページじゃ収まらないし彼女達にとっては1冊にも収まらないほどの長くも儚いアイドル人生だったのではないかと思います。
自身も学生時代の友達がやけに少ないのは遊んではいたものいざという時、確実に彼女達を優先していたからであるのは間違い無い。自分の中心にいたのではなく、自分から見て、℃-uteが中心で世界が動いていた。そんな風に思う。
期間としては℃-uteと過ごせたのはたった6年間だった。
間にバンドマンをはさんでいる。確かに現場にあまり行っていない時期もあったし、後半なんて新曲を追うのさえ危うかった時期もあった。でも、心の中で、℃-uteはずっといてくれる。ステージに立ち続けてくれるんだって、言い聞かせていた。
そんな中で発表された解散。タイミングは最悪だった、サマパラ初日。
ただ、その辺の気持ち整理はできていて、ただ、彼女達がアイドル辞める、「℃-ute」を手放すという選択だけがただただ悲しく、そう思う以外に何も出来なかった。
思えば6年前、今でも鮮明に覚えている。
2011年7月23日 お台場合衆国。その日「萩原舞」という1人アイドルに心を奪われました。
最初は全然なんとも思わなかった彼女に、一目惚れした日。
ただ、その時はスマイレージの小川紗季ちゃんを応援していて、そこで降りた理由でもなく、その一ヶ月後に紗季ちゃんが電撃卒業した後に一推しとなり、人生が変わったのである。
最初はきっと小川紗季という消化不良を、萩原舞への当てつけで誤魔化していたのかもしれない。
時が経つにつれて、萩原舞という1人のアイドルへの執着が深くなり、いつかは覚えていないけどある日ある曲を聞いた時に心が揺れた。
恋は単純でも 愛は複雑なの
(超WOUNDERFUL!/℃-ute)
あ、恋は単純なのか。
と、思い一番仲良くしていた人に報告をした。
僕「あの、気付いてしまったんですけど、僕、ガチ恋みたいです!!!!!」
ヲタク「今頃気付いたかwwwwwwww」
茶番か、(笑)
でも、その辺りからか、心に曇は無くなった。
よく泣くようになった。楽しそうな顔を見るだけでも涙が出るようになった。
頑張ってる姿を見るだけでも涙が出るようになった。
ただその頃は本当に偏った応援をしていて、推し以外全員邪魔者扱いをしていて、単独コンでさえ「5分の1で我慢してやってる」ってスタンスだった。
初の主演舞台では「この子を支えてあげられる存在になりたい」と思った。
初の対バン形式のイベントでは「この子達はもっとやれる」と思った。
初の武道館では自分の事のように喜び、共有し涙を流した。
色々な感情を持ったきがする。たくさんの愛に触れて、たくさんの喜びや悲しみを共有して、たくさんの笑顔と幸せを少しづつ重ねていけたと思う。気がつけば他のメンバーも好きになれた。
思い出は数え切れない。数える気も起きない量のファンレター。束になったチケット。サイズ変更により整理が追いつかない生写真。
心に穴は空いたけれども、後悔がないのは、ラストのステージで、あれだけの物を見れたからな気がする。
兎にも角にも、℃-uteはつんくという天才に恵まれていた。そしてプロデュースが外れた後も、作詞、作曲陣にはかなり恵まれていたと思う。
ずっとつんくに曲をもらい続けていて、それに彼女達も慣れ、ファンもそれが普通になっていて、つんくがプロデュース外れた時のオタク達の衝撃今でも忘れない。期待と不安と。
でも、どんな曲でも℃-uteの曲になった。
shockさんはちゃんと℃-uteを愛してくれていた。
℃maj9は尋常じゃないくらいの名盤だった。
これが℃-uteが築き上げてきたものなんだなあって、在宅ながら思えた。多分、在宅だったから思えたんだと思う。
つんくが℃-uteに「Singing〜あの頃のように〜」を書いた時、これがつんくの最後の曲かもしれないって、すごいよぎった。ライナーノーツを読んでもラストにオファーが来るかもわからないような書き方をしていて、これが最後のつんく曲なんだと思った。
でもラストシングルはつんくだった。
改めて彼は本当にすごい人だった。15年のアイドル人生を締めくくる彼女達に「幕開け」の曲を送ってくるんだよ、どんだけ、どんだけ泣かすんだよ、しかもちょーかっけーじゃん。
ラストコンサートでは、予定調和のように
「さぁ、歌い散れ 心燃やしつくせ」
と始まり、さまに「輝くための幕が開いた」と言うにふさわしい舞台で、史上最高のライブが、期待通り、期待以上に最高の最後だった。
王道の℃-ute
個性派のBerryz
団結の℃-ute
バラバラのBerryz
と常に比較され、対照とされていたグループだったけど、最後の最後は、王道のラストコンサートをしたのはどう考えてもBerryz工房だったと思う。
℃-uteは最後の最後までいい意味で「いつも通り」の℃-uteだった。MCはしょーもねーし、最後のコメントはみんな短いし、でも、誰よりも、どのグループよりも、全力で最高のパフォーマンスを見せてくれた。
どんな言葉よりも、それが℃-uteとしての魅せ方だって多分メンバースタッフ全員分かっていたのだと思う。
一曲一曲にそれぞれの思い出がつまっていて、それかファンみんなにあって、それがメンバーによって表現されて、会場が一つになる。
こんな素晴らしい体験、なかなかできないよ。
どの曲が良かったとか、どのシーンが良かったとか、そうゆうのどうでも良くなる、ただただ「℃-uteが良かった」って気持ちで溢れていて、周りもそうで、みんな泣きながらすげー幸せそうな顔してるのがすごい心に残ってる。
shockさんが最後に書いてくれた「ファイナルスコール」、歌詞が媚びすぎず、いや、媚びすぎてるんだけど、そう感じさせない何かがあって、shockさんの愛を感じられた、、
お別れなのに、幸せな未来を思わせてくれる曲だった。
ラストコンサート、嫌な思いもしたりしたオタク生活だったけど、すべてが美化された思い出に変わった瞬間だった。
今思えば気難しい性格だった自分は、5人を好きなれない時もあって、特に1人を批判し続けている節があって、それもいい思い出になってる。
愛理が「歌を歌い続けたい」って意思を表明した時、何故か自然に「見に行きたいなー」って思えた自分がいて、あんなに大っ嫌いだった人なのに、いつの間にか℃-uteが好きになってた。
萩原舞という1人のアイドルを、好きになり、℃-uteというグループを好きになれた。
この事こそが、自分の中のすべてで、自分の成長であり、基礎になったと思っている。
ちなみにオタク生活においてである。
そして、萩原舞というアイドルはもう存在しない。ファンが望む道とは別の道を選んだ彼女の選択を、決して背中を押してあげたいなんて思えない。
売れなくてもいい、ただ帰る場所が欲しかった。その場所が℃-uteであり、萩原舞だった。
どんなに辛い思いをしても、どんなに悲しくても、彼女がいてくれたから笑顔になれた。
どんなに遠くても、どんなに見えなくても、彼女の笑顔で涙を流せる自分がいた。
もちろん背中を押せないなんていうのは自分の意地で、あるのは分かっている。でも、ただ、萩原舞という存在が本当に偶像となるのが怖いだけで、記憶にも、記録にも残っていても、今が無ければきっとそれは絶対にはならない。そんなエゴで固めた自分の信念が素直にしていないだけで。そして何よりも、アイドルとして、1人の女性として自分が見つけたものを自信にしてくれなかったことがかなしかった。
でも、振り返ると、楽しい思い出しか思い出せなくて、全ての記憶がキラキラしていて、楽しくて、楽しくて、幸せで。
だから「送り出す」ではなく、「お別れ」を後腐れなくできたんだとおもう。
何より、℃-uteに出会えて幸せだった。
ありふれた言葉だけれど、℃-uteにたくさんの幸せを貰った。
たくさんの笑顔をもらった。
たくさんの元気をもらった。
たくさんありがとうと思えた。
アイドルは私達こそ、って言うけれど、そんなことはありえなくて、彼女達は幸せって思ってくれていたとしても、何よりも、誰よりもとてつもない犠牲を払って手にした幸せであることを、こちら側の人間は自覚していないといけないんだろうなあ。
普通に恋愛して、普通に友達と過ごす日々とは違うキラキラな世界を真っ当に生きた彼女達。きっと充実した経験なんだと思う。ただ、普通に恋愛して普通に友達とすごさなかった自分達も、どうしようもなく充実した幸せな経験をさせてもらったと思う。
ありがとう。この五文字だと伝えきれない。でも、この五文字以外見つからない。
言葉にはできないくらいの経験をさせてもらい、支えてもらえた6年間でした。
腐るほど言った言葉だけれど、℃-uteに出会えて幸せでした。5人ともみんな残らず幸せになってね。
そして舞ちゃん。ラストのウェディングドレス姿、一生忘れません。たくさんの笑顔をありがとう。いっぱい勉強して、いっぱい遊んで、素敵なお嫁さんになってね。あなたの幸せを一番に祈っています。
5人のこれからの幸せを祈って。あえてこの言葉で締めくくらせて下さい。
#STY